東北大学百年史編纂室ニュース
第7号 2001.3.31

法文学部第一研究室と附属図書館
目次
大学の管理運営に見る百年

東北大学名誉教授・東北大学百年史編集委員会委員  竹内 峯

渡邉 信夫名誉教授のご逝去を悼む

東北大学百年史編纂室

東北大学百年史編纂室日誌抄録
 


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大学の管理運営に見る百年

 東北大学名誉教授・東北大学百年史編集委員会委員  竹内 峯



 東北大学の前身東北帝国大学が学生に講義を開始したのは1911年9月であるから、それから今年で90年になる。その歴史は一口では語り難い。しかし、大きな目で見れば、1945年までの帝国大学の時期と、再編成の期間を挟んでのその後の東北大学の時期とでは、その規模と性格に大きな違いがある。この90年間の教官数の推移と卒業生数の推移を図に示してあるが、帝国大学の時期とその後の時期との規模の差は明らかである。

 東北帝国大学は、大正の末の法文学部の設置により法文、理、医、工の4学部体制となり、その後約20年間、総講座数120程度で推移した。毎年の卒業生数は400乃至500名である。これに対して、大学制度が変わったのちの東北大学は、やがて8学部体制となり1学年の学生数は1500名を超えるに至った。大学の規模の拡大はさらに続き、大学院重点化の完了した今日では、12研究科10学部(2001年3月現在)、大学院在学者を含む学生数は2000年5月1日現在で約1万7千名に達し、毎年の卒業生は大学院修了者を含めれば3000名を大きく超えている。このような規模の変化は、大学の管理運営のあり方にも大きな影響をもたらしている。註1)

 管理運営ということで、学長(総長)、各学部等の教授会との間で見解の相違が公然となったのは、1964年の教員養成課程の分離にかかわってであった。この時は学制変更のあるべき手続きは何かが問題となり、更に農学部の青葉山への移転をめぐって学長への批判が高まった。1965年の警察の学内捜査は問題を全学規模に拡大し、「本学問題」として検討されるに至った。註2)この時期の論議は、法規で定められた大学管理機関の役割を確認しながら、学長・学部長等の裁量の範囲を制限し、教授会の役割を強調する方向で展開された。このような論議があらためて必要であった土台に、教授数の増加、学部数の増加があったことは容易に見て取れる。学長は、もはや教授会と特別な手続きなしに意志を疎通し会う存在ではなくなっており、しかも大学管理のために独自の責任を果たす必要が生じていたからこそ、学長の権限がどの範囲に及び、その権限の行使がどのような手続きで全学の教授たちの承認を得るべきかが論議されたのであろう。註3)

 規模の拡大は、教官と学生の関係にも変化をもたらした。かつての東北帝国大学の時期には、教官は学術を教授すると共に、学生を薫陶することが大きな任務であった。そこでは、ルールよりは個別の相互理解が重視されたといってよいっであろう。註4)しかし、1960年代には教養部ほか多数の学生を抱えた部局では、学生は教官との個々の相互理解を深めることは事実上困難となり、大学側は管理運営について明確なルールを示す必要に迫られた。

 ルールの明確化を推し進めようとするとき、大学の資産はだれの所有であり、だれがどのような権限で管理するかという問題を避けて通ることはできない。東北大学の場合、土地、建物、什器備品の所有者が国であるので、東北大学の財産は、国有財産取扱規程にしたがって管理されなければならず、このことについての学長、学部長等の管理者の責任は、教授会評議会で如何に審議決定しても解除されないと、ある事務局長が書いている。註5)実際問題として、<大学は文部省の容認する範囲内で資産を管理する>という枠を乗り超えるかどうかを全学的に議論するようなことは生じなかったが。註6)

 1976年、その前年に退学あるいは停学処分とした学生の処分を解除する措置が執られているが、その措置に関連して、処分は学生に反省を求めるための措置であるか、ルール違反に対する懲罰であるかという議論が行われた。このようなことも、大学の管理運営のルールのひとつの問題としてはっきりさせて置かなければならないと思われる。註7)

 1990年代になり副学長が設けられ、規模の大きな大学にふさわしい管理運営体制の整備が始められた。大学院重点化とそれに伴って進められている研究科の再編成により、東北大学は第3の時代に踏み込んだといえるが、さらに独立行政法人という新しい体制への移行が決まり、大学の管理運営について新しい課題が生まれている。こうした課題を正しく解決していくために、過去に生じた問題について検討を深めることが不可欠であろう。東北大学百年史に期待されていることのひとつは、まさにそうしたところにあるに違いない。管理運営の歴史についての積極的な検討が、百年史編集の過程で進められることを期待したい。

学生・教官数一覧現在の学生・教員数



註1) 図のうち1960年代の教官数・学生数の増加は、工学部を中心に進められた講座増の結果である。1974年の卒業生数の極端な減少は、1970年前後のいわゆる「大学紛争」の影響を想起させる。近年の教官数と卒業生数の減少は、臨時学生増募の措置の終了の影響であろう。大学院重点化後の東北大学の規模の変遷の指標としては、大学院への入学者数を用いることが適当と思われる。
註2) 石津学長は任期半ばの1965年10月5日付けで辞任を認められているが、この一連の問題に関わってであった。この問題は1960年代の教官数・学生数の増加に対応するキャンパス整備(青葉山川内地区への移転)にかかわる争いでもあった。
註3) 学生の管理運営への制度的参加は、東北大学では重大な争点にはならなかった。
註4) 東北帝国大学の時期は、成文化されたルールと知識人の生活規範の間にかなりの差があったという時代背景にも注意を払う必要があろう。
註5) 根本松彦、東北大学学報昭和58年3月1日付け64ページ
註6) 国費を真に効率的に活用するという観点から見ても、大学に大きな自主性が認められる必要があるが、このことについても東北大学の歴史はさまざまなことを教えてくれるように思われる。
註7) この学生処分を取り上げた『広報』(東北大学広報委員会)は、処分解除については触れておらず、その経緯は公開されていない。


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渡邉 信夫名誉教授のご逝去を悼む


 東北大学百年史編纂構想委員会委員長を務められた渡邉信夫名誉教授(69歳)が平成13年(2001)1月15日(月)、ご逝去されました。
 渡邉先生はまさに、東北大学百年史編纂事業の「生みの親」といっても過言ではありません。平成5年(1993)7月、東北大学百年史編纂構想委員会が設置されました。先生はその委員長に就任され、『百年史』編纂の基本方針等の検討が始まることとなります。その後、百年史編纂事業の早期立ち上げに共感した西澤潤一総長(当時)の援助を得て、先生は他の編纂構想委員とともに、東京大学・京都大学・九州大学などへ赴き、大学史編纂に関する諸調査をされました。この調査結果と編纂構想委員会の意見を踏まえ、翌6年9月、(1)開学以来の沿革、(2)研究機関としての学術的貢献、(3)教育機関としての社会的貢献など3点の客観的解明と(4)21世紀への展望の指針となるべきことをうたった、『東北大学百年史』編纂構想が大学に答申されることとなります。
 先生は編纂構想委員長就任時、「すぐれた大学史を作るためには、全学的な編纂体制の確立が必要不可欠である。特に百年史編纂室の専任スタッフの充実がポイントとなる」と幾度となく口にされていました。さらに先生は「百年史は世界に、日本に、地域に情報を発信し続ける東北大学の自己認識といってよい」と述べるなど、「大学史」の持つ意味の重要性を早くから説き、全学的な取り組みの必要性を常に主張されていました。
 東北大学において、本格的に百年史編纂事業がスタートしたのは、先生のご退官後、平成9年(1997)4月の百年史編纂室発足時です。東北大学史料館(当時は記念資料室)の中に設置された編纂室は、専任の室員4名によって運営され、現在、2年後にひかえた『資料編』第1巻の編集を中心とした編纂業務をおこなっています。先生の意図された通り、全学的な編纂体制が確立・整備されたのです。
 先生に『東北大学百年史』をご覧いただくことができなかったことは、百年史関係者にとって誠に残念の極みであります。謹んで哀悼の意を表します。

百年史編纂室


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百年史編纂室日誌抄録

2000(平成12)年  
8月 1日 『東北大学百年史編纂室ニュース』第6号発行。
4日 斎藤報恩会へ借用資料返却。竹内峯名誉教授(理)、来室。
7日 鹿児島大学より『鹿児島大学五十年史』受贈。
10日 経理部契約室との話し合い(印刷業者の選定について)。
百年史通史編纂のための研究会(第13回)開催。
18日 編纂室スタッフ会議。
21日 『五十年史』編纂時に作成した座談会のテープおこし開始。

28日

第23回百年史編集委員会幹事会(印刷業者選定委員会について)。
百年史通史編纂のための研究会(第14回)開催。
9月 5日 元東北大学職員、渋谷陽三氏、教養部史実務担当山崎俊昭氏来室。
 6日 工学部史編纂室員来室。
7日 座談会テープおこし終了。
18日 編纂室スタッフ会議。
19日 総務課総務掛との話し合い(印刷業者選定委員会について)。
20日 百年史編纂室所蔵資料の配置換え。

26日

國學院大學校史資料課より『校史』第11号受贈。
10月 2日 農科大学任官表作成開始。
医学部事務部庶務掛より部局史関係について照会。
 6日 『東北大学百年史』印刷業者選定委員会(第1回)。
9日 中央大学百年史編集室より『中央大学百年史編集ニュース』34受贈。
10日 野田恵理室員(事務補佐員)採用。
農科大学任官表作成終了。
11日 『官報』所収の東北大学関係法令の入力開始。

12日

経理部契約室との話し合い(印刷業者選定委員会の件)。

13日

総務課総務掛との話し合い(印刷業者への説明会・第2回選定委員会について)。

16日

編纂室スタッフ会議。

26日

東北大学研究教育振興財団常務理事石井敏夫氏来室。

30日

医学部事務部庶務掛より任官表作成について照会。
11月 1日 京都大学事務局総務部総務課岸本佳典氏来室。
経理部契約室との話し合い(印刷請負候補業者への説明会について)。
 2日 理学部より任官表作成についての照会。
6日 印刷請負候補業者を招致しての『東北大学百年史』についての説明会(於、片平会館会議室)。
7日 医学部事務部庶務掛より部局史関係について照会。
理学研究科山口晃教授より部局史について照会。
10日 医学部事務部庶務掛にて基礎データについて打ち合わせ。
15日 編纂室スタッフ会議。
20日 全国大学史資料協議会東日本部会より『大学アーカイヴス』No34受贈。
24日 経理部契約室との話し合い。
清泉女子大学より『清泉女子大学創立五十周年記念誌』受贈。

28日

工学部史編纂室員来室。

29日

医学部事務部庶務掛より任官表作成について照会。
工学部史編纂室員来室。
理学研究科山口晃教授より、部局史について照会。
12月 8日 筑波大学前史資料調査室より『筑波大学前史資料調査室ニューズレター』第3号受贈。
15日 『東北大学百年史』印刷業者選定委員会(第2回)
本編部門・別編部門業者プレゼンテーション(於、片平会館)。
18日 編纂室スタッフ会議。
19日 医学部事務部庶務掛より任官表について照会。
20日 神戸大学教育学部五十年史編集委員会より『神戸大学教育学部五十年史』・『図録 神戸大学教育学部五十年』受贈。
25日 電子媒体部門プレゼンテーション(於、片平会館)。
『東北大学』印刷業者選定委員会(第3回)。
医学部事務部庶務掛より任官表作成について照会。
2001(平成13)年
1月 4日 仏教大学総合企画部企画課より、『仏教大学報』第50号・『BUTSUDAI』10号受贈
9日 医学部事務部庶務掛より任官表作成について照会。
17日 学務部関係資料調査。
18日
〜19日
高橋助手、東京出張(東京工業大学文教施設研究開発センター・東京大学史史料室・明星大学戦後教育史研究センター)。
22日 編纂室スタッフ会議。滝浦靜雄名誉教授(文)より資料寄贈。
学校法人梅花学園より『梅花幼稚園創立70周年記念誌』受贈。
明星大学戦後教育史研究センターより、『占領教育史研究』第1号〜第3号、『戦後教育史研究』第4号〜第14号受贈。
25日 『東北大学百年史』印刷業者選定委員会(第4回)。
26日 歯学部総務課人事掛より部局史について照会。
2月 1日 医学部事務部庶務掛より資料複写のため2名来室。
2日 医学部近藤尚武教授(編集委員)より、部局史について照会。
5日 財団法人日本私学教育研究所より『調査資料78教育制度等の研究(その9)』、『調査資料106教育制度等の研究(その10)』受贈。
6日 河相一成名誉教授(農)より『占領下 大学の自由を守った青春−東北大学イールズ闘争五十周年記念−』受贈。
13日 東京大学史史料室より、『学問のアルケオロジー』、『学問のエクスペディシオン』、『建築のアヴァンギャルド』、『A-History21−ShortStoriesinPictures−』受贈。
14日 第24回幹事会(「百年史編纂委員会」廃止に伴う「百年史編集委員会」の位置付けについて)。
京都大学百年史編集史料室助手西山伸氏・事務官大柿泰章氏来室。
15日
〜16日
高橋助手、東京出張(日本私学教育研究所・明星大学戦後教育史研究センター)
16日 竹内峯名誉教授(理)来室。
大谷大学真宗総合研究所より『真宗総合研究所研究紀要』第17号受贈。
19日 歯学部総務課人事掛より部局史について照会。
財団法人日本私学教育研究所より、『財団法人日本私学教育研究所要覧』『紀要刊行一覧』、『調査資料刊行一覧』、『私立中学・高等学校沿革史誌目録』、『日本私学教育研究所広報』第33号受贈。
22日 工学部史編纂室員来室(部局史について)。
竹内峯名誉教授(理)来室。


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